僕の夢。

僕は自分でお店に立っていて常に頭に思っている事があります。
いや、常には言い過ぎかな?でもそう、ぼんやりと夢の様に思っている事。

 

それが

 

「いつか、近視が進まない眼鏡屋さんになる事。」

 

口先だけでなく、そんな眼鏡屋が出来たら
僕の夢はかなうし、勿論生活者の皆様にとっても

それはきっと素晴らしい未来だと思います。

 

ここでのポイントが、

 

「近視が無くなる未来。」

 

ではないという事です。

 

何故なら僕は現代社会においては、多少の近視くらいの方が
何かと都合が良いと思っているからです。

 

近視の方が都合が良いというと語弊があるかもしれませんが、
何しろ僕はそう思っているという事です。

 

では何をもって都合が良いと言うのでしょう?

 

それを僕は近視=悪なのか?

という10年程前のblogで力説しています。


そのblogは今のblogと違って、業界の方々向けに
発信していましし、文体も変えて堅苦しく書いていますが、
若しもご興味ございましたらお読みくださいね。

 

近視=悪なのか。

 

思えば、最初は勘の様な物で、近視の矯正法に胡散臭さを
感じた10年前、見えない事を異常だと判断し、また度を強くして
その度に近視は強度化するのを僕は目の当たりにしてきたのです。

 

上記のblogでも言っていますが、


近視の場合は遠くが見えない、でも度によっては、
近くが楽に見えるというケースがあるのです。

 

そして、今現在強度の近視化していて、
最初の一本は弱い近視の眼鏡から始めるのが
たいがいです。でもそれを矯正してから、

坂道を転がるようにして、半年おきに度を強くする。


これを繰り返して、色々な意味でリスキーな
強度近視の眼が出来上がるのです。

僕の夢は、これらの近視化を少しでも食い止め、
健康的な暮らしができるよう、眼鏡をもって
お手伝いしたいのです。

 

そして、

 

その最初の対策が、

遠用、近用の二本使いでの使い分け。

 

更に、プリズムベースイン処方という寄り眼の
運動量を低減させる度による調整。

 

そして近年は

10代であろうと

遠近両用レンズで提案し、
遠くも近くも楽に見える眼鏡の提案をしています。

 

これが正しいのか?僕はまた結論には至っていませんが、
少なくともお店では一定の効果を上げているようです。

 

皆様も、眼が悪くなったと、

 

眼の機能の一部に過ぎない視力の低下で慌てずに、
信頼のおける眼科医さんや眼鏡店に足を運んでみてくださいね。

 

少なくとも視力は悪くとも、他の機能は良好なんてケースは
枚挙に暇がない程に事例はございます。

 

それ程捨てたもんじゃないです。近視の眼という奴は。
今日はこれくらいにしておきますね。

 

僕の夢を具現化させるのには、道はまだ果てしなく遠く見えますが、

それでも、皆様の暮らしが快適になるのであれば、

その実現に努力邁進するのです。

 

それではまたこのコラムでお会いしましょう。