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老眼ではない。

人はだれしも老眼になるものです。
これを避けることはできません。


金持ちにも貧乏人にも平等なもの、それは「時間と老眼」。
そう言ったのは古代ギリシャの哲学者、ググレカスです。(ウソ)


しかし人はなかなか自分が老眼であることを認めたくないものです。
20歳の若者が、自分の父のような50歳のオヤジになるなんて想像できません。
その気持ちを30年間引きずってしまうのです。


ではここで老眼と認めたくない人の

様々な言い訳・悪あがきをお楽しみください。


ついでに眼鏡屋として論破でるものは論破しておきますね。

 

*「太陽の下の明るいところなら新聞も読めるから、老眼ではない」


20歳のころはそんなところじゃなくっても読めたでしょ。ハイ論破。

 

*「近視のメガネを外せば読めるから老眼ではない」


それは逆。近視のメガネを外さなければ読めなくなったのですよ。


近視のメガネは焦点を遠くにずらして、近眼ではない状態にするもの。
つまりメガネを掛けて、眼のいい人(近視のない人)と同条件になるんです。
その条件で手元が見づらいから、メガネを外すんでしょ?


だいたい20歳のころは外さずに見てたでしょ?だから老眼。ハイ論破。

 

*「あたしのばあちゃんはメガネをしなくても遠くも近くもよく見える」


いろいろあるけどたぶん片眼は遠見視力が良くて、もう片眼は近視で近見視力がいい。
そういう人はそんなに珍しくない。どっちもまずまずよく見えるが、立体視が弱い。


ハイ論破。

 

*「スマホなど大きな字にすれば読める」


読めることと焦点が合ってはっきりと目に負担なく見えることは違う。


小さな文字を見なければならないときはどうするのか?と尋ねると
「若い人に聞く」って半ば認めてるじゃん。周りが迷惑。ハイ論外。

 

ほかにもまだまだあると思いますけど、

パッと思いついたことだけ書いてみました。
思い出したらまた書きますね。どうぞよろしく。